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フリーダムデザイン

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『 私の履歴書 』 幼少時代

2008.03.30

小池 康也

Yasunari Koike

今回は、私の自己紹介をします。

私は、新潟県柏崎市の出身。

柏崎は、人口約10万人の海に面した街。

昔は石油精製業が盛んで、現在の新日本石油の創業地でもあります。

現在は世界最大の原発 柏崎刈羽原子力発電所のある街として知られています。

昔も今も、「エネルギーの街」ってことですね。

昨年は、中越沖地震が起きて、原子力発電所炎上!という事故もありました。

私は、父 真市、母 富美枝の3番目として生を受けました。

父は、祖父の借金が原因で高校をやむなく中退し、兄弟をやしなった苦労人。

田中角栄元首相が設立したバス会社で運転手のかたわら農業もしながら、

私たち兄弟を育ててあげてもらいました。

大変な時代を生抜いたとあって、そのバイタリティには感心するばかり。

現在は、両親を深く尊敬し、感謝しています。

私は、生まれた時には足に内股のハンディキャップがありました。

「このまま成長したら、歩行が困難」と診断された程だったとのこと。

理由は分かりませんが、

「出産間近まで重労働を続けたためでは?」と母は考え悩んでいたようです。

当時の家族の悲嘆は、大変なものだった様ですが

この子の足は、絶対に治してみせる!」と両親は決意をしてくれ、

三度にわたる手術のおかげで、中学時代は陸上部に所属できるほどになりました。

私自身も子供を授かってから、改めて当時の両親の想いを考え、

更に感謝するようになりました。

いまだに、歩き方に特徴があるのは、そのためで、

中高生時代には、「いきがって歩いている」と誤解を受けて

先輩に呼び出された思い出もあります。

私が生まれ育った家は、築80年の茅葺き屋根の民家。

真っ黒な太い梁に、壁は、しっくい。(だったような気がします)

野球の軟式ボールを梁にぶつけてよく遊んだのですが、

外れて土壁に当たると壁がボロボロになって、よく叱られたのを憶えています。

最近、古民家の再生などを見受けますが、

室内に入るとすごくホッとします。

きっと、自分自身の原体験のため、と自身で理由付けをしています。

11歳のときに、同じ柏崎市内で、別に家を新築し引っ越しをしたのですが、

引っ越し1週間で、家族を揺るがす大事件が発生しました。

(つづく)

小池 康也

Yasunari Koike

趣味:

ソシアルダンス、パーソナルジムで筋トレ、レイトショーで一人映画鑑賞、美しいものを眺めること

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